かすみ草の恋

アラフィフの今、出逢ってしまった運命の人。
お互い家庭がありながらも、最後の恋人として大切に愛を育んでいます。

<<恋愛忘備録>>「寂しいから会いたい」と「好きだから会いたい」は違う

婚外恋愛をしていて辛いと思うことのトップは、
思うように会えない、という点だろう。


お互い仕事や家庭などに対する責任があり、
「会いたい」と思った時にすぐに会える訳ではないからだ。



私は比較的自由な時間が多い生活をしているので、
トシと付き合い始めた頃は
できることならその隙間時間全てをトシと過ごしたい、
と思っていた。


トシもほとんど休みのない激務の中で
なんとか時間を作ってくれてはいたが、
当然私としてはそれでは物足りない。


会えない期間が続いて寂しくなってしまい、
「寂しいよ〜。会いたいよ〜。」
とつい訴えてしまったこともある。



そのときトシが言ったのは、

T:「寂しいからオレに会いたい、
と言われても嬉しくないよ。


オレのことが好きだから会いたい
と思ってほしい。」



そのときは正直に言って、
意味がよくわからなかった。


好きだから会いたい

会えないから寂しい

寂しいから会いたい


この流れは、女性なら当然のこと。


「寂しいから会いたい」と「好きだから会いたい」に
何の差があるの?と疑問に思っていた。



そんな時、ネットで見つけたある記事が、コチラ。


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「寂しいから会いたい」と「好きだから会いたい」
は違うものです。


「寂しいから会いたい」は、
敢えて言うなら「暇だから会いたい」に似ています。


自分では“心を満たせない” “何か足りない”から、
相手によって埋めようという意図を感じるからです。



それは「相手に愛情がある」というよりも、
「自己愛の延長」に過ぎません。


「え? ちゃんと相手のことを好きだけど?」
と思うかもしれませんが、
「自分にとって、ちょうどいい相手だから好き」
だと思っていることも大いにあるのです。


それは自己愛なのです。



もう少し正しく言うと、
「寂しいから会いたい」と思う人は、
自分のことも好きなわけではありません。


自分のことすら愛せていないから、
人のことも愛せないとも言えるのです。


だから、心がこんなにも不安定なのです。



「好きだから会いたい」と思う人は、
1人でも自分を満たすことができるので、
相手の存在によって自分の足りなさを埋めようとはしていません。


自分の足りなさは自分で埋められる上で、
さらに、相手の存在によって、
今以上に幸せになれるから会いたい
という前向きな気持ちがあるのです。



どっちの恋愛の方がうまくいくか、というと、
間違いなく後者です。


依存する者同士の恋愛は、
お互いに愛情を求め、奪い合います。


逆に自立した者同士の恋愛は、
愛情を与え合います。


結果、前者のカップルは消耗し合い、
後者のカップルは愛を育みます。


だから、恋愛をするためには、
まずは自分の心の隙間は自分で埋められるくらいに
自立していた方がいいのです。



「寂しいから会いたい」と思う人と、
「好きだから会いたい」と思う人とでは、
恋愛での行動も違います。


例えば、「好きだから会いたい」という人は、
パートナーが仕事が忙しくて会えないとき、
多少寂しさは感じても、
機嫌良く待っていることができます。


ある程度大人になったら、
自分の心の不安などは自分で解消し、
メンタルを安定させる術を身につける必要があります。



でも、「寂しいから会いたい」と思うような人は、
自分でそれをどうにかしようとするのではなく、
傍にいてくれる異性の存在によって
誤魔化そうとする傾向があります。


そうするしか手段を持っていないのです。



結局、「寂しいから会いたい」と思うような人は、
自分で自分の心の隙間を埋められるようにならないと、
幸せにはなれません。


そもそも自分の心の隙間は人の存在で誤魔化すことはできても、
実際は自分でしか埋められないものです。


そこに気付かないと、いつまで経っても、
人の存在で誤魔化すやり方から抜け出せないでしょう。


幸せになりたければ、「寂しいから」ではなく、
「好きだから会いたい」と思える人でありたいものですね。


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トシが言いたかったのは、まさにこういうことだったのだと思う。


「寂しいから会いたい」は
自分の不足感を相手に埋めてもらおう、という依存の表れ。


相手への愛ではなく、自分の欲求を満たすために
相手を利用しようとしているのだ。



「好きだから会いたい」は
混じりけのない相手への愛情の表れ。


自分が満たされることばかり望むのではなく、
一緒の時間を過ごすことで
相手にも自分と同じように幸せになって欲しい、
と願うから、「会いたい」と思う。



K:「トシが言いたかったのは、
寂しさの隙間を埋めるような「会いたい」は
良くない、ってことだよね。」


T:「そう、その通り。


かすみに「寂しいから会いたい」と言われたら、
できる限り時間は作るよ。


でも、それで会って「寂しくなくなった」
と言われても、オレはあまり嬉しくない。


それより、お互いが「好きだから会いたい」
という気持ちで会った方が、絶対楽しい時間が過ごせるし、
幸せも愛情も可算することができるんだ。


会えない寂しさを埋め合うより、
その方がずっと幸せじゃない?」



会えない寂しさより
会えたときの喜びが何倍も、何十倍も、
いや何百倍も上回るよう、
「好きだから会いたい」を心がけていきたい。

甘え下手な甘えん坊

私は人に甘えるのが、とても苦手だ。


元々の性格もあるだろうし、
二人姉弟の長女、という兄弟構成も
影響していると思う。


末っ子長男でヘタレな弟に対して
両親が常に手を焼いていたため、
「私はお姉ちゃんだから、しっかりしなくちゃ!」
と思って育ったからだ。



また、中学高校と女子校に通ったことも
甘え下手に拍車をかける一因だったと思う。


中高一貫の女子校と言うと、
一般的にはおしとやかなお嬢様の集団、
というイメージがあるかもしれない。


しかし実際は、10代の多感な時期を
異性の目を気にせず暮らす、というのは
逆に「何でも自分でできる」、
独立心旺盛な女子を育てることとなるのだ。



例えば女子校では、
体育祭の看板作りなど、体力を使う作業も
当然自分たちでこなさなければならない。


のこぎりでベニヤ板を切り、
金槌で釘を打ち、
ペンキで色を塗り、
ロープをかけて数人掛かりで大看板を立ちあげる。


「え〜!釘なんて、打てな〜い!」
と甘えた声を上げてみても、


「じゃあ、オレがやってあげるよ」
なんて言ってくれる(かもしれない)男子が
そもそもいないのだ。



それどころか、


「あ、そ。
じゃあ、あっちで門の飾りでも作ってて。」


と、ティッシュで造花を作るような
地味な作業に振り分けられるのが関の山だ。



さらに私の通った女子校は、
地域トップの男子校を凌駕する偏差値を誇る
(可愛げのない)学校だったので、
余計に自立心旺盛な女子が多かったように思う。


なにしろ、同級生の2割弱は女医、
1割ほどは女社長。


大企業で同期の誰よりも早く
管理職になった子もいるし、
国内外を股にかけて活躍する子もいる。


「ダイヤは男に買ってもらうのを待つより、
気に入ったものを自分で買えるようになるべし」
が私たちの合い言葉だ。



生来の長女気質に加え、
こんな環境で中高の6年間を過ごしたのだから
甘え下手に拍車がかかったのも仕方のないこと。


このまま一生、
誰にも甘えることなんてないんだろう、
と半ば諦めていたときに、トシと巡り会った。


そして、今まで甘え下手だと思っていたのは、
単に私を甘えさせてくれるほどの度量のある男性と
出会っていなかっただけ、ということがわかったのだ。



今でもトシに対してだって
できることを「できない〜、やって〜」
とは言わないし、言えない。


でも、ホテルの部屋で二人きりになるやいなや、
トシの膝の上に乗って首に齧りつき、
「会いたかった…」とつぶやくことはできる。


(これでも私にしたら、ものすごい甘えっぷり。)


ベッドで果てた後に、
トシが口移しで飲ませてくれるお水が美味しくて
「もっと、ちょうだい」と言ったときは、
50年弱の人生の中で、一番甘えた瞬間だったと思う。



K:「もしね、女の子を可愛らしく育てたかったら、
女子校に行かせるべきじゃないと思う。


私みたいに、甘え下手になっちゃうから。」


T:「そんな甘え下手なかすみが
オレに対してだけは甘えん坊になる、
っていうのが堪らないんだよ。


誰にも懐かない野生のライオンを飼いならした!
みたいな達成感がある。」


K:「それって、私が猛獣ってこと?!」


T:「そうかも(笑)


オレの甘えん坊の可愛いライオンちゃん♪」


そう言ったトシの首筋を、
ライオンのふりして甘噛みしながら
やっぱり女子校育ちも悪くないかも、
と思ったのだった。

悶絶テクニシャンを目指せ!

トシは身体を使う仕事をしている上に、
自分の会社の経理や設計などの事務仕事も
一手に引き受けているため、常に身体中が凝った状態。


たまにマッサージに行くみたいだけれど、
その時間すら取れないことも多いようだ。



そんな話を聞き、お部屋デートの時に
見よう見まねでトシの肩や足を
マッサージしようとしたことがある。


だが、逆に私は50年近く、
肩こり腰痛とは無縁で生きてきた。


自分が凝りをほぐされる気持ち良さがわからないので、
多分マッサージのテクニックは皆無だと思う。



そこで、何とかマッサージの技術を身につけられないだろうか、
とあれこれ調べてみた。


でも、ヒットしたサイトは、
プロ養成コースの教室が殆ど。


期間も長いし、費用も10万円以上かかってしまう。



そんな中で、「ホームリフレクソロジー」の教室を開いている
あるセラピストさんのホームページを発見した。


リフレクソロジーは、足のマッサージ。


全身ではないけれど、とりあえず足だけでも
少しは役に立つかもしれない、と
速攻で申し込みボタンをクリック。



そして昨日、2時間×全3回のレッスンを無事終えた。


リフレクソロジーは、香港や台湾でよくある
「イタタタ!」とのたうち回る足つぼとは違い、
緩やかに優しく反射区を刺激する施術。


実際にその理論の端っこだけでも齧ってみると、
足という器官がいかに色々なことを語ってくれるかがわかる。



目ではなく手の感覚に集中して施術すると、
調子の悪い箇所はゴリゴリと流れの悪い感じが。


足全体を揉み解すことで、
全身のリンパや血液の流れも良くなる。


終わった後、ふくらはぎが1cm以上細くなり、
足に羽が生えたように軽くなるのは衝撃的だった。



また、普段は教える側なので、
教えてもらう、ということ自体が非常に新鮮。


今回の私のように、全く無から始める場合、
どのような箇所が疑問点となり
どのように説明したらわかりやすいか。


分野は違うけれど、
教えられる側の体験はとても参考になった。



早速夜の電話で、興奮気味にトシに報告。


T:「オレのために習いに行ってくれたの?


嬉しいよ。」


K:「うん、そうだよ。


でも、キッカケはトシだけど、
私も学ぶことがたくさんあってすごく楽しかった♪


逆にトシにありがとう、だよ。」


T:「なんて素晴らしい彼女なんだ!」



だけど、技術的にはまだまだだ。


トシが出張から戻って来たら、
疲れを癒してあげられるように、
テクニックを磨いておかなくては。



K:「トシを悶絶させるのが、目標なんだ〜♪」


T:「足マッサージだけでなくて、
他のことで悶絶させるテクニックも
身につけてくれてもいいよ(笑)」


K:「…そういうの、教えてくれる教室もあるかな?」


T:「冗談、冗談!


かすみ、本当にアヤシイ教室見つけて
習いに行っちゃいそうだから。」


K:「もう〜!


そういうお店にバイトとして入ったら
もしかして教えてもらえる?
とか、0.5秒の間に考えちゃったよ!」


そう私が言うと、トシは爆笑した後、


T:「ホント、かすみは素直で可愛いな〜。


そんなところが、大好きだよ♪」



こんな甘いご褒美くれるトシのためなら、
悶絶テクニシャン目指して頑張っちゃう!