かすみ草の恋

アラフィフの今、出逢ってしまった運命の人。
お互い家庭がありながらも、最後の恋人として大切に愛を育んでいます。

<<恋愛忘備録>>いい依存、わるい依存〜その1〜

私は大学で、心理学を専攻していた。


人の心は取り出して観察することも、
数値化することもできない。


古今東西、様々な理論が提唱されてきているが、
未だに謎な部分が多いのも、
より心惹かれる理由だろう。



そんな訳で、
今でも心理学系の本や記事を読むのが大好き。


最近ネットで読んだ記事で、
興味深いものがあったのでご紹介しようと思う。


(なお、元記事はかなり長いので、
半分くらい割愛しています。)


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僕たちは、家族だとか身近な人に対して、
さまざまな期待を持ってしまいますよね。


「このくらいのことはわかってくれるはずだ」とか、
「私の意見に反対しないはずだ」とか、
「以前お願いしたことを覚えていてくれるはずだ」とか、


いろいろな期待を持つわけです。



しかし、実際のところ、
相手が期待に応えてくれないことって、
日常茶飯事のごとく、よくありますよね。



そんなとき、
不機嫌になって黙り込んだり、
腹を立てて、相手のことを責めたり、
相手のことを変えようとして説教をしたり
するとしたら、


それは相手に対して強く甘えているということ
ですよね。



この甘え(=依存)のことを
「母子一体感」と言います。


「母子一体感」は、
本来、幼児が母親に対して抱く「甘え」であり、


母親を「自分とは別の人間」として認識できていない
心理状態でもあります。



つまり、母子一体感とは、


「お母さんは僕(私)の欲求を
満たしてくれて当たり前」


「お母さんは僕(私)の気持ちを
わかってくれて当たり前」


「お母さんは僕(私)の期待に
応えてくれて当たり前」


という、
子どもに特有の依存心(甘え)のことなのです。



そして子どもは、成長していくにつれて、


「母親が常に僕(私)の期待に応えてくれる
わけではない」
ということを受け容れるようになり、


やがて、健全な「離別感」を持つようになります。



「離別感」とは、


「相手には相手の事情がある。
相手は私の思いどおりになる存在ではない」


という「大人の心理」です。



しかし、実際のところ、


大人になっても
「母子一体感」を手放すことができない人は
かなり多いと思われます。


「母子一体感」を手放すことができない人は、


家族だとか身近な人が、
期待どおりの反応をしてくれないと、


不機嫌になって黙り込んだり、
腹を立てて、相手のことを責めたり、
相手のことを変えようとして説教や非難をしたり
してしまうわけです。



子どもが親に対して母子一体感を持つことは
自然なことですし、


また、それが適度に満たされることは、
心の発育にとって大切なことです。


しかし、大人になって、
配偶者や家族に対して
強い母子一体感を持つことは、
不自然かつ不健康なことといえます。



それは、相手に対して、
「母親が幼児を受け容れるように、
無条件に俺(私)のことを受け容れてくれ」
と要求しているのと一緒ですから、


これは大人どうしの関係としては
あまりにも不自然ですよね。


この場合、
永続的かつ「双方が幸せな」夫婦関係を築くことが
難しくなります。



発達心理学によってわかったことなのですが、


僕たち人間の心は、
何歳になっても成長し続けることが可能です。


ですが、そのためには、
適度な「負荷」
適度な「フラストレーション」
適度な「思いどおりにならない状況」が
日常生活の中に必要なのです。



逆に、
「思いどおりに『なる』状況」ばかりに安住していると、


僕たちの「思いどおりにならないことへの耐性」は脆弱化し、
僕たちの心は容易に退行していきます。


ですから、


従順な妻が、
いつも夫の気持ちを察して、気を利かせてばかりいると、
夫はどうしても心理的に退行してしまうわけです。



母子一体感というのは
幼児的な万能感でもあります。


ところが、
子どもの年齢が上がってくると、
「二者関係」を脱して「三者関係」に移行する
必要性が出てきます。


子どもの人生に、
「自分」と「母親」の他の「第三の存在」が
登場するからです。


この「第三の存在」にはいろいろあるのですが、


精神分析家のジャック・ラカンによると、
その中でも特に重要なのが「言葉」です。



乳児時代の子どもにとって、
「言葉」は不要でした。


自分が泣いているだけで、
その理由を母親が察して、
自分の欲求を満たしてくれたのです。


しかし、
子どもは年齢とともに多様な欲求を持つようになり、


「泣いて訴えるだけではその欲求を満たせない」
という事実に直面するようになります。


そして、
「母親には母親の事情があり、
母親は常に自分の欲求を満たしてくれるわけではない」
ということも理解するようになります。



そうなると子どもは、


自分の多様な欲求を満たすうえで
母親の助力が必要な場合、


言葉を使って母親と会話をし、
母親を説得しなければならなくなるのです。


こうして、「自分」と「母親」の間に、
「言葉」という第三の存在をはさむことにより、
「三者関係」が成立するわけですが、


この「三者関係」こそが、
子どもの心の成長を促すのです。



自分の考えていることをいちいち言葉で説明し、
さらに母親の気持ちを言葉で聞き出し、
そのうえで会話(説得、交渉)をしていかなければ
ならない「三者関係」は、
極めて面倒くさい関係です。
まさに大人の関係です。


つまり、二者関係から三者関係に移行することは、
子どもにとって極めて面倒で、残念なことなのです。


しかし、この面倒くさい「三者関係」を通してこそ、
子どもは幼児的な万能感を手放すことができ、
「思いどおりにならないことへの耐性」を高めながら、
心理的に成長していけます。



親子関係、夫婦関係、上司と部下の関係などの
日常的・継続的な関係において
二者関係(察する側と察してもらう側)をやっていると、


察してもらう側が心理的に退行していってしまいます。
つまり、共依存的な関係になってしまうわけです。



夫婦のコミュニケーションを研究したバウコムが、


「妻が従順であるほど、中長期的に見て、
夫婦関係が悪くなっていく」
という研究結果を発表しています。


妻が夫に対して従順になるということは、
妻が夫のワガママをケアする役割(=母親代わりの役)
を担うということであり、


それが夫の心理的退行(子どもがえり)を促すので、
夫は家庭においてますますワガママになり、


やがて夫婦関係が悪化するということなのです。


もちろん、逆の場合(夫が従順である場合)は、
妻の方が心理的に退行してしまいます。


そうならないためには、
日常的・継続的な関係においては、
三者関係が好ましいわけです。



ただ、
相手の気持ちを察することも、
空気を読むことも、
自分を守るためにやってきたことなので、
いきなりそれを手放そうとするのは無理があります。


自己受容の練習をしていくとともに、
他者との間に境界線を引く練習も重ねていって、
無理なく、少しずつ手放していくといいのです。



それをやっていった結果、


「おたがいが心理的に自立したうえで、
対等に、ほどよく甘え合える関係」を、


つまり健康的な「相互依存関係」を、


相手との間に築けるのです。


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かなり長くなったので、この記事に関する所感は
次の記事にします。


元記事が気になった方は、
「野口嘉則」
「「察してほしい」という気持ちが人間関係に与える影響」
で検索してみて下さい♪