かすみ草の恋

アラフィフの今、出逢ってしまった運命の人。
お互い家庭がありながらも、最後の恋人として大切に愛を育んでいます。

名前を呼んで

私の本名(ファーストネーム)はちょっと変わっている。


今まで50年近く生きて来て、
2人しか同名の人と出会ったことがない。


有名人を含めても、片手で余るくらいだ。


いわゆるキラキラネームではなく、
どちらかと言うと古風な名前なのだけれど。



子供の頃は、自分の名前があまり好きではなかった。


観光地のお土産物で必ずあるネーム入りのキーホルダーで
自分の名前を見つける可能性はゼロ。


名乗った時に一瞬「え?」という顔をされるのも
恥ずかしかった。



最初にトシに本名を教えたとき、
T:「素敵な名前だね。貴女に似合っている。」
と言われ、とても嬉しかったことを覚えている。


そして
T:「○○ちゃん、○○さん…、
どう呼んだらいいか色々考えたけど、呼び捨てでもいい?」
と。


K:「いいよ。私はアナタのこと、何て呼べばいい?」


T:「かすみも呼び捨てにして。
その方が、お互いグッと身近に感じるでしょ?」



実は私はそれまで、父親以外の異性から
呼び捨てで呼ばれたことがなかった。


今まで付き合ったことのある人たちは、
本名を縮めたニックネームか、
それに「ちゃん」をつけるケースが多かった。


夫に至っては、最初の内は「さん」付けで、
その内「ねぇ」とか「あのさ」になり、
子供が生まれてからはご多分に漏れず「ママ」呼ばわり。


最後に名前を呼ばれたなんて何年前?
と記憶にすら残っていないくらいだ(笑)



また、付き合っている相手の名前を呼び捨てで呼ぶのも、
トシが初めて。


そいう言うとトシは
T:「かすみの初めてのオトコになれて、光栄だよ。」
と。


最初の内は呼び捨てで呼ばれることも呼ぶことも、
なんだか面映く、トシの名前を呼ぶ度に
どことなくぎこちなかったっけ。


でも確かにトシが言うように呼び捨てで呼び合う度に、
グッと相手を身近に感じたのも事実。



そして一年近くが経った今でも、
私たちはお互いの名前を頻繁に口にする。


T:「おはよう、かすみ」


K:「トシ、おやすみなさい♪」


といった具合に、挨拶にはほぼ必ず名前を付ける。


でも何と言っても一番嬉しいのは、
抱き合いながらトシに名前を呼んでもらうとき。


T:「愛してるよ、かすみ」


そうトシに低い声で囁かれると、
自分の名前がまるで
この世で一番貴重なものになったかのような気がするのだった。