かすみ草の恋

アラフィフの今、出逢ってしまった運命の人。
お互い家庭がありながらも、最後の恋人として大切に愛を育んでいます。

どこまで許せる?!デブとポチャの境界線

食欲の秋の到来と共に、
順調に増加傾向にある私の体重。


夏バテで少々減らした分など
ものの2週間足らずで元通り。


それどころか、
今朝は今月最高値をたたき出してしまった。


これ以上増やすと後が大変ということは
何度も痛い目にあって身に染みているので、
そろそろ本気でダイエットを考えなくては…。



モチベーションをあげるため、
トシにネットで見つけたこんな画像を送ってみた。


K:「ねぇねぇ、この中でトシの好みの体型は、どれ?」


T:「-10%から80%なら、どれもOK。」


な、なんて許容範囲の広い…。


でも、それではダイエットのモチベーションにならない。



K:「じゃあさ、今の私はどれくらい?」


T:「う〜ん、40%と60%の間くらいかな。」


これまた、非常に正直なお答え(笑)



俗に男性はガリガリの女性より、
ちょいポチャくらいの女性を好む、
と言われている。


この画像が載っていた記事にも
「80%はアリでも-30%はありえないのに
何故世の中の女たちは病的に痩せたがるのか」
という男性の声が。



私は元々身長が165cmと高めな上に、
骨格がしっかりしている体型。


どれだけダイエットしても、
「折れそうに細い体」には絶対になれない。


若い頃はそれこそ華奢な身体に憧れたけれど、
ある程度年齢を重ねた今は、
多少ぽっちゃり目の方が女性らしく見えるように思う。


(自分に甘い、ということは重々承知しております…。)



T:「若い頃は、一緒に連れて歩いて自慢できる、
っていうのが一番の基準だったから、
モデルみたいな体型の女が理想だった。


でも、実際に付き合うと、
ガリガリに痩せている女は抱き心地は悪いし、
一緒にご飯食べてもちょっと食べて残したり
これは食べられないだの文句ばかり言うから、
楽しくないんだよな。」


とは、トシの談。



T:「それに、かすみはポッチャリじゃないじゃん。


メリハリがあって、グラマーだよ。


男からしたら、一番抱いてみたい、
と思える体型だ。


他の男の目が気になって心配だけどね(笑)」


K:「またそうやって甘やかす〜!」



幸か不幸かトシの出張が延びて、
次の逢瀬はまた2週間ほど先になりそうだ。


この間に密かにダイエットし、
トシの好きなボディラインを強調したニットワンピが
似合う体型になってみせよう!


私の常識、アナタの非常識

子供たちがまだ幼稚園と小学校低学年だった頃、
夫の転勤で一家で3年間アメリカに駐在した。


家が決まって引っ越すやいなや
子供たちは現地の幼稚園と小学校に通うことに。


事前に彼らに叩き込んだフレーズは2つだけ。


Call my mom.

Where is the bathroom?



訳がわからないままアメリカに連れてこられ、
いきなり現地の学校に放り込まれた子供たち。


子供は言葉を覚えるのが早いから、
とよく言われているが、
それでも子供たちがある程度不自由なく
学校生活を送れるようになるには
半年から一年近くかかった。


我が子ながら、二人ともよく頑張ったと思う。



子供たちも言葉の通じない環境で
文字通り生き延びるのに必死だったと思うが、
私も様々な面で驚きの連続だった。


何しろ、こちらが常識だと思っていることが
アメリカでは通用しないことが多々あるのだ。



中でも私が一番驚いたのは、
テストの点数の付け方。


あるとき息子が持ち帰ったテスト用紙には、
「0」と片隅に数字が書かれ、
その下に大きく"Excellent!"と。


0点なのに、Excellentってどういうこと?!


しかもその文字が赤ではなく緑色で書かれていたため、
余計に意味不明だ。



後日わかったことは、
まずアメリカでは「100点満点」という概念がないということ。


日本は総合計が100点になるよう個々の問題の点数を調整し、
100点満点に対して何点取ったかで評価するが、
アメリカでは「何問間違えたか」が基準となる。


これも、アメリカ全土で必ずしも同じという訳ではなく、
パーセント表記で点数がつく場合もあるようだ。



また、日本人は採点や修正には赤を使う、
というのが常識だが、
これもアメリカでは決まった色はない。


さすがに黒い鉛筆で書かれた答案に
黒いペンで採点することはないようだが、
手近にある他の色のペンであれば、
青だろうと緑だろうと紫だろうと、なんだってOK。


一度など、息子のテストで半分まで青で採点してあり、
途中でインクが切れたのか、後半はオレンジ、
というカラフルな答案を返してもらったことがある。



この経験から学んだことは、
自分が常識だと信じていることが、
必ずしも他人の常識と同じではない、ということ。


加点ではなく減点方式の採点法があれば、
赤ではなく青、はたまたオレンジで修正を施すことだってある。


いくら自分が、
「満点は100点でしょ!」
「修正は赤でするのが常識でしょ!」
と主張したところで、相手によっては通用しないのだ。



恋愛に関しても同じ。


「付き合っているなら毎日連絡くれるのが当たり前」
「好きなら言葉にするのが常識」
「会う時間を作らないのは愛情がない証拠」


これらは女性側の「常識」かもしれないが、
男性側にとったら「非常識」なケースもあるに違いない。



そして常識というものは、長年培われたものだからこそ、
覆すのが非常に難しい。


ただ、自分の常識が必ずしも相手の常識とは限らない、
ということを意識していれば、
「こうして当然」
と思うのは傲慢だ、ということはわかるはずだ。


また相手が自分の常識と違うことをしたとしても
そういうこともあるかもしれない、
と納得できるだろう。



私の常識は、アナタの非常識。


でも、その違いを知るのも面白く、
また自分の枠を広げてくれるキッカケになるかもしれない。

<<恋愛忘備録>>「寂しいから会いたい」と「好きだから会いたい」は違う

婚外恋愛をしていて辛いと思うことのトップは、
思うように会えない、という点だろう。


お互い仕事や家庭などに対する責任があり、
「会いたい」と思った時にすぐに会える訳ではないからだ。



私は比較的自由な時間が多い生活をしているので、
トシと付き合い始めた頃は
できることならその隙間時間全てをトシと過ごしたい、
と思っていた。


トシもほとんど休みのない激務の中で
なんとか時間を作ってくれてはいたが、
当然私としてはそれでは物足りない。


会えない期間が続いて寂しくなってしまい、
「寂しいよ〜。会いたいよ〜。」
とつい訴えてしまったこともある。



そのときトシが言ったのは、

T:「寂しいからオレに会いたい、
と言われても嬉しくないよ。


オレのことが好きだから会いたい
と思ってほしい。」



そのときは正直に言って、
意味がよくわからなかった。


好きだから会いたい

会えないから寂しい

寂しいから会いたい


この流れは、女性なら当然のこと。


「寂しいから会いたい」と「好きだから会いたい」に
何の差があるの?と疑問に思っていた。



そんな時、ネットで見つけたある記事が、コチラ。


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「寂しいから会いたい」と「好きだから会いたい」
は違うものです。


「寂しいから会いたい」は、
敢えて言うなら「暇だから会いたい」に似ています。


自分では“心を満たせない” “何か足りない”から、
相手によって埋めようという意図を感じるからです。



それは「相手に愛情がある」というよりも、
「自己愛の延長」に過ぎません。


「え? ちゃんと相手のことを好きだけど?」
と思うかもしれませんが、
「自分にとって、ちょうどいい相手だから好き」
だと思っていることも大いにあるのです。


それは自己愛なのです。



もう少し正しく言うと、
「寂しいから会いたい」と思う人は、
自分のことも好きなわけではありません。


自分のことすら愛せていないから、
人のことも愛せないとも言えるのです。


だから、心がこんなにも不安定なのです。



「好きだから会いたい」と思う人は、
1人でも自分を満たすことができるので、
相手の存在によって自分の足りなさを埋めようとはしていません。


自分の足りなさは自分で埋められる上で、
さらに、相手の存在によって、
今以上に幸せになれるから会いたい
という前向きな気持ちがあるのです。



どっちの恋愛の方がうまくいくか、というと、
間違いなく後者です。


依存する者同士の恋愛は、
お互いに愛情を求め、奪い合います。


逆に自立した者同士の恋愛は、
愛情を与え合います。


結果、前者のカップルは消耗し合い、
後者のカップルは愛を育みます。


だから、恋愛をするためには、
まずは自分の心の隙間は自分で埋められるくらいに
自立していた方がいいのです。



「寂しいから会いたい」と思う人と、
「好きだから会いたい」と思う人とでは、
恋愛での行動も違います。


例えば、「好きだから会いたい」という人は、
パートナーが仕事が忙しくて会えないとき、
多少寂しさは感じても、
機嫌良く待っていることができます。


ある程度大人になったら、
自分の心の不安などは自分で解消し、
メンタルを安定させる術を身につける必要があります。



でも、「寂しいから会いたい」と思うような人は、
自分でそれをどうにかしようとするのではなく、
傍にいてくれる異性の存在によって
誤魔化そうとする傾向があります。


そうするしか手段を持っていないのです。



結局、「寂しいから会いたい」と思うような人は、
自分で自分の心の隙間を埋められるようにならないと、
幸せにはなれません。


そもそも自分の心の隙間は人の存在で誤魔化すことはできても、
実際は自分でしか埋められないものです。


そこに気付かないと、いつまで経っても、
人の存在で誤魔化すやり方から抜け出せないでしょう。


幸せになりたければ、「寂しいから」ではなく、
「好きだから会いたい」と思える人でありたいものですね。


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トシが言いたかったのは、まさにこういうことだったのだと思う。


「寂しいから会いたい」は
自分の不足感を相手に埋めてもらおう、という依存の表れ。


相手への愛ではなく、自分の欲求を満たすために
相手を利用しようとしているのだ。



「好きだから会いたい」は
混じりけのない相手への愛情の表れ。


自分が満たされることばかり望むのではなく、
一緒の時間を過ごすことで
相手にも自分と同じように幸せになって欲しい、
と願うから、「会いたい」と思う。



K:「トシが言いたかったのは、
寂しさの隙間を埋めるような「会いたい」は
良くない、ってことだよね。」


T:「そう、その通り。


かすみに「寂しいから会いたい」と言われたら、
できる限り時間は作るよ。


でも、それで会って「寂しくなくなった」
と言われても、オレはあまり嬉しくない。


それより、お互いが「好きだから会いたい」
という気持ちで会った方が、絶対楽しい時間が過ごせるし、
幸せも愛情も可算することができるんだ。


会えない寂しさを埋め合うより、
その方がずっと幸せじゃない?」



会えない寂しさより
会えたときの喜びが何倍も、何十倍も、
いや何百倍も上回るよう、
「好きだから会いたい」を心がけていきたい。