かすみ草の恋

アラフィフの今、出逢ってしまった運命の人。
お互い家庭がありながらも、最後の恋人として大切に愛を育んでいます。

<<恋愛忘備録>>いい依存、わるい依存〜その2〜

その1でご紹介した
「「察してほしい」という気持ちが人間関係に与える影響」
を読み、恋愛関係に置き換えて考えてみた。



人は誰かに恋をすると、
その相手に意識の大部分を集中してしまう。


特に我々女性は、その傾向が強いかもしれない。


「彼のことしか考えられない」
「彼は私のことをどう思っているのだろう?」


と四六時中考えるだけならまだしも、


「私がこれだけアナタのことを考えているのだから、
アナタも同じように考えて。


そして、私がアナタを好きという気持ちを察して
私が心地いいようにして。」


と知らない間に相手に要求してしまうのだ。


これは、この記事で言う『子供に特有の依存心(甘え)』
がもたらす心理だろう。



「毎日イヤというほど何度も連絡して」
「私が会いたいと思う時にすぐに会いに来て」
「しょっちゅう好き、愛してると言って」


恋をしている女性なら、
誰しもが言ってみたいワガママだと思う。


でも、これらは小さな子供が
「欲しいおもちゃ、全部かって〜!」
「食べたいおやつ、全部食べさせて〜!」
「遊びたい時に遊ばせて〜!」
というのと同じ、非常に幼い甘えだ。



真っ当な母親なら、
こうした子供のワガママを全部聞くことはない。


恋愛や夫婦関係においても、同じだと思う。


相手の未熟な甘えを全て聞いていたら、
相手を助長させ、成長を妨げることになるばかりか、
二人の間に健全な関係を築けないことになってしまう。



私は独身時代に付き合った男性のひとりと、
まさにこの「二者関係」に陥りかけたことがある。


その男性は極度のワガママで、
こうして、とお願いされたことを私が聞かなかったり、
自分が言ったことに対してちょっとでも反論しようものなら
すぐさま不機嫌になる。


当時は彼に嫌われたくない一心で、
言われたことは殆ど全て受け入れたし、
ちょっと違うんじゃないかな、と思うことも
揉めるのが面倒で肯定していた。



が、私が彼のワガママを受け入れれば受け入れるほど、
感謝されるどころか、ますますワガママ度に拍車が。


さらには、何でも受け入れる私を下に見て、
攻撃するようにさえなった。


ここに至って私は、
「この関係は間違っている」とようやく気が付く。


彼のワガママに振り回されるのに
ほとほと疲れていたこともあり、
スパッと関係を切れたのは、不幸中の幸いだっただろう。



その男性と付き合っていたときの私は、
「彼の全てを受け入れるのが愛情」
と思っていた。


しかし、これは大きな間違いだったのだ。



相手の全てを受け入れる、というのは
相手のワガママを全て聞く、ということではない。


相手がたとえ怒っても泣いても、
自分ができないことはできないと伝えること。


その上で、どんな状態であっても
相手の存在を受け入れること。


これが正しい「相互依存関係」なのだろう。



トシとの関係においては、
この「相互依存関係」が確実にでき上がっていると思う。


最初の頃は、私がワガママを言ったり
寂しいなどのネガティブな感情を
そのままぶつけたりしていた。


でも、トシは絶対に理不尽な要求は受け入れてくれない。


私がいくら「寂しい」と訴えても、

T:「その寂しさを埋めるのは、オレの役目じゃない」


などと言われ、余計凹んだこともあった。



ただ、トシはそんな私を見放すことはしなかった。


なぜそれがいけないのか、
どうして自分は受け入れられないのか、


必ずきちんと言葉にして
私が納得いくまで説明してくれた。



T:「多少無理すれば、
かすみのワガママを聞いてやることはできる。


でも、そうしたら、
かすみは今は満足するかもしれないけれど、
また同じことを繰り返すだろう?


人は、一度受け入れてもらったワガママは
二度も三度も受け入れてもらえる、
と思ってしまう。


そして、受け入れてもらえないと、
余計腹が立つし、さらに要求がエスカレートする。


その内、オレも受け止めきれなくなって
二人の関係そのものがダメになってしまうんだ。」



トシの言葉を聞いて、本当にその通りだと思った。


人はワガママを聞いてもらったとき、
その場では満足するかもしれないが、
同じワガママはまた聞いてもらえる、と勘違いする。


最初は相手に感謝しても、
その内、聞いてくれないと怒りが込み上げるようになる。


さらには、何でも言うことを聞く相手を
ないがしろにしたりさえするようになる。


これがいわゆる「共依存」の関係であり、
お互いが破滅に向かうことは必須だ。



今、彼にワガママを聞いてもらえなくて
悲しい思いをしているみなさん。


彼はきっと、
「恋愛のコドモ」レベルにいる私たちを成長させてくれる
「恋愛のオトナ」なんだと思いましょう(笑)!


私たちが「恋愛のオトナ」レベルに成長できたら、


「おたがいが心理的に自立したうえで、
対等に、ほどよく甘え合える関係」


つまり健康的な「相互依存関係」を
築けるに違いないのだから。

<<恋愛忘備録>>いい依存、わるい依存〜その1〜

私は大学で、心理学を専攻していた。


人の心は取り出して観察することも、
数値化することもできない。


古今東西、様々な理論が提唱されてきているが、
未だに謎な部分が多いのも、
より心惹かれる理由だろう。



そんな訳で、
今でも心理学系の本や記事を読むのが大好き。


最近ネットで読んだ記事で、
興味深いものがあったのでご紹介しようと思う。


(なお、元記事はかなり長いので、
半分くらい割愛しています。)


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僕たちは、家族だとか身近な人に対して、
さまざまな期待を持ってしまいますよね。


「このくらいのことはわかってくれるはずだ」とか、
「私の意見に反対しないはずだ」とか、
「以前お願いしたことを覚えていてくれるはずだ」とか、


いろいろな期待を持つわけです。



しかし、実際のところ、
相手が期待に応えてくれないことって、
日常茶飯事のごとく、よくありますよね。



そんなとき、
不機嫌になって黙り込んだり、
腹を立てて、相手のことを責めたり、
相手のことを変えようとして説教をしたり
するとしたら、


それは相手に対して強く甘えているということ
ですよね。



この甘え(=依存)のことを
「母子一体感」と言います。


「母子一体感」は、
本来、幼児が母親に対して抱く「甘え」であり、


母親を「自分とは別の人間」として認識できていない
心理状態でもあります。



つまり、母子一体感とは、


「お母さんは僕(私)の欲求を
満たしてくれて当たり前」


「お母さんは僕(私)の気持ちを
わかってくれて当たり前」


「お母さんは僕(私)の期待に
応えてくれて当たり前」


という、
子どもに特有の依存心(甘え)のことなのです。



そして子どもは、成長していくにつれて、


「母親が常に僕(私)の期待に応えてくれる
わけではない」
ということを受け容れるようになり、


やがて、健全な「離別感」を持つようになります。



「離別感」とは、


「相手には相手の事情がある。
相手は私の思いどおりになる存在ではない」


という「大人の心理」です。



しかし、実際のところ、


大人になっても
「母子一体感」を手放すことができない人は
かなり多いと思われます。


「母子一体感」を手放すことができない人は、


家族だとか身近な人が、
期待どおりの反応をしてくれないと、


不機嫌になって黙り込んだり、
腹を立てて、相手のことを責めたり、
相手のことを変えようとして説教や非難をしたり
してしまうわけです。



子どもが親に対して母子一体感を持つことは
自然なことですし、


また、それが適度に満たされることは、
心の発育にとって大切なことです。


しかし、大人になって、
配偶者や家族に対して
強い母子一体感を持つことは、
不自然かつ不健康なことといえます。



それは、相手に対して、
「母親が幼児を受け容れるように、
無条件に俺(私)のことを受け容れてくれ」
と要求しているのと一緒ですから、


これは大人どうしの関係としては
あまりにも不自然ですよね。


この場合、
永続的かつ「双方が幸せな」夫婦関係を築くことが
難しくなります。



発達心理学によってわかったことなのですが、


僕たち人間の心は、
何歳になっても成長し続けることが可能です。


ですが、そのためには、
適度な「負荷」
適度な「フラストレーション」
適度な「思いどおりにならない状況」が
日常生活の中に必要なのです。



逆に、
「思いどおりに『なる』状況」ばかりに安住していると、


僕たちの「思いどおりにならないことへの耐性」は脆弱化し、
僕たちの心は容易に退行していきます。


ですから、


従順な妻が、
いつも夫の気持ちを察して、気を利かせてばかりいると、
夫はどうしても心理的に退行してしまうわけです。



母子一体感というのは
幼児的な万能感でもあります。


ところが、
子どもの年齢が上がってくると、
「二者関係」を脱して「三者関係」に移行する
必要性が出てきます。


子どもの人生に、
「自分」と「母親」の他の「第三の存在」が
登場するからです。


この「第三の存在」にはいろいろあるのですが、


精神分析家のジャック・ラカンによると、
その中でも特に重要なのが「言葉」です。



乳児時代の子どもにとって、
「言葉」は不要でした。


自分が泣いているだけで、
その理由を母親が察して、
自分の欲求を満たしてくれたのです。


しかし、
子どもは年齢とともに多様な欲求を持つようになり、


「泣いて訴えるだけではその欲求を満たせない」
という事実に直面するようになります。


そして、
「母親には母親の事情があり、
母親は常に自分の欲求を満たしてくれるわけではない」
ということも理解するようになります。



そうなると子どもは、


自分の多様な欲求を満たすうえで
母親の助力が必要な場合、


言葉を使って母親と会話をし、
母親を説得しなければならなくなるのです。


こうして、「自分」と「母親」の間に、
「言葉」という第三の存在をはさむことにより、
「三者関係」が成立するわけですが、


この「三者関係」こそが、
子どもの心の成長を促すのです。



自分の考えていることをいちいち言葉で説明し、
さらに母親の気持ちを言葉で聞き出し、
そのうえで会話(説得、交渉)をしていかなければ
ならない「三者関係」は、
極めて面倒くさい関係です。
まさに大人の関係です。


つまり、二者関係から三者関係に移行することは、
子どもにとって極めて面倒で、残念なことなのです。


しかし、この面倒くさい「三者関係」を通してこそ、
子どもは幼児的な万能感を手放すことができ、
「思いどおりにならないことへの耐性」を高めながら、
心理的に成長していけます。



親子関係、夫婦関係、上司と部下の関係などの
日常的・継続的な関係において
二者関係(察する側と察してもらう側)をやっていると、


察してもらう側が心理的に退行していってしまいます。
つまり、共依存的な関係になってしまうわけです。



夫婦のコミュニケーションを研究したバウコムが、


「妻が従順であるほど、中長期的に見て、
夫婦関係が悪くなっていく」
という研究結果を発表しています。


妻が夫に対して従順になるということは、
妻が夫のワガママをケアする役割(=母親代わりの役)
を担うということであり、


それが夫の心理的退行(子どもがえり)を促すので、
夫は家庭においてますますワガママになり、


やがて夫婦関係が悪化するということなのです。


もちろん、逆の場合(夫が従順である場合)は、
妻の方が心理的に退行してしまいます。


そうならないためには、
日常的・継続的な関係においては、
三者関係が好ましいわけです。



ただ、
相手の気持ちを察することも、
空気を読むことも、
自分を守るためにやってきたことなので、
いきなりそれを手放そうとするのは無理があります。


自己受容の練習をしていくとともに、
他者との間に境界線を引く練習も重ねていって、
無理なく、少しずつ手放していくといいのです。



それをやっていった結果、


「おたがいが心理的に自立したうえで、
対等に、ほどよく甘え合える関係」を、


つまり健康的な「相互依存関係」を、


相手との間に築けるのです。


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かなり長くなったので、この記事に関する所感は
次の記事にします。


元記事が気になった方は、
「野口嘉則」
「「察してほしい」という気持ちが人間関係に与える影響」
で検索してみて下さい♪

不倫批判に思うこと

ここ最近、芸能人や政治家の不倫報道が後を絶たない。


不倫疑惑で民進党を離党した山尾志桜里議員が
無所属で今度の衆議院選に出馬する、という
ニュースもネットを賑わせている。


一部の人たちにとっては、
この国がどうなるか?ということより


不倫した女、あるいは
「このハゲ〜!」と怒鳴るような女が
政治家になってもいいのか?
ということの方に関心があるらしい。



そしてこうした有名人の不倫報道がなされると、
ネット上で必ず「不倫批判」をする人が表れる。


これが私には不思議でならない。


当事者の配偶者や家族が怒るのはわかるが、
その他多勢の一般人が、
なぜそこまで熱く不倫批判を繰り広げられるのか?


自分の倫理感覚にそぐわないと思えば、
放っておけばいいだけのこと。


貴重な時間とエネルギーを使って、
不特定多数の人相手に不倫批判を繰り広げることに
何の意味があるのだろう?と思ってしまう。


(ギャラをもらってテレビに出ている人は別。)



しかし、トシとの関係が始まった頃、
これら不倫批判が心に突き刺さった時期があった。


特に、
「男はどうせ身体目当てなのだから、
不倫相手に本気で惚れるはずがない。


タダでできる相手、くらいにしか思っていないのに
本気の恋愛だと思っている女性は愚かだ。」


という意見を目にすると、
どうしてもイヤな気持ちになってしまう。



そこでトシに、


「ねぇ、よく世の中には
男が不倫するのは身体目当て、
って言う人がいるじゃない?」


と話をふってみた。


トシの答えは簡単明瞭。


T:「そんなの、ただのやっかみに決まってるだろ。」


そうか、やっかみか!


トシの言葉を聞いて、心がスッキリした。



確かに、人は「やっかみ」を感じたとき、
無意味に憤りを感じ、叩こうとする傾向がある。


例えば、濡れ手に粟で大金を手にした人。


そんなに能力もないのに、出世した人。


そして家庭は家庭でキープしながら、
他の男(女)との恋愛も楽しむ人。


自分が知らない、そして体験できそうもない
いい思いをしている相手に対し、
「やっかみ」を感じるからこそ、


せっせと批判をして少しでも冷や水を浴びせよう
としているのだろう。



K:「でもさ、そういう人は
不倫相手はタダでできる相手だから
キープしてる、って言うじゃない。」


T:「恐らくそういう奴らは、
男女の恋愛を身体目的としか捉えられない
乏しい経験しかないんだよ。


確かにセックスと恋愛には
切っても切れない関係があるけれど、


そこに金銭を絡める思考が
オレにはわからない。


食事したり、どこかへ出かけたり、
電話したり、LINEしたり、


身体だけが目的の相手だったら、
誰がそんな面倒なことする?


単に若くてきれいな女に相手してもらいたいなら、
お金払って風俗に行く方が
断然手っ取り早いじゃん(笑)」


確かに、その通りだ。



T:「下らないやっかみに対して
真剣に悩んだり傷付く方が損だよ。


だいたい、男でそういう批判記事を書くヤツは、
ハゲでデブで口臭持ちの
どうやったって女なんてできそうにない男、
と相場は決まってるんだからさ。」


このトシの言葉を聞いてからは、
不倫批判を記事を読む度に、


地球上最後に二人きりになっても
絶対に半径1m以内に近寄りたくないような男性を
勝手に脳内に思い浮かべるようになってしまった(笑)



そもそも、人を批判する時の顔は
どんな美人でもいい男でも、醜い。


そして批判を繰り返している内に、
その醜い顔が自分の顔になってしまうとしたら
恐ろしいことだ。


自分の顔を歪ませるような原因になることは、
極力放っておくのがいい。


他にもっともっと、
時間やエネルギーを傾けるべきものがあるはずなのだから。