かすみ草の恋

アラフィフの今、出逢ってしまった運命の人。
お互い家庭がありながらも、最後の恋人として大切に愛を育んでいます。

<<恋愛忘備録>>人の人生は気にする必要がない

一連の有名人の不倫報道も、
大御所(?)が自ら公表したことで
少し流れが変わろうとしている。


あそこまで堂々と世間に知らしめる必要があったのか、
という疑問は残るが、
いつか探られてスキャンダルになるより
自分で明らかにした方が傷が少ない、
という判断だったのかもしれない。



それでもまだ、世間一般の考えは
不倫は「悪」であり、「叩くべきもの」だ。


不倫がいいことか悪いことか、と言われたら
もちろん悪いことではある。


が、それを非難できるのは
当事者の家族のみではないだろうか。


ところが全く関係のない第三者が
唾を飛ばさんばかりの勢いで
「不倫は悪!」
とネットなどに書き込んでいる。


なぜこの人たちは他人のことに対して
ここまで悪し様に言えるのだろう、
と常に疑問だった。


この疑問に答えてくれる記事を
最近、ネットで見つけた。


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人はなぜあんなに他人のことを悪く言うのだろう
と考えることがある。


例えば、有名人の色々なスキャンダルに対して
全くの赤の他人がそこまで文句を言う必要はないはずだ。


政治家の問題であれば
たしかに私たちの生活に直結するかもしれない。


それも横領や法律違反などなら理解できるが、
不倫などプライベートな問題は私たちに関係ない。


極端に言うと職務をしっかりこなしてくれれば
プライベートがどれだけルーズでも影響はない。



こういったことに対して私は、
ルールを守っている自分を正当化するために
ルールを守らない人間を批判するのではないか
と思っている。


自分は質素にコツコツと努力して、
やりたいこともやらずに、
買いたいものも買わずに頑張っているのに
あの人たちは良い思いをしている。


こんなにガマンをしているのに
あの人たちだけそんなことが許されるわけがない。


という思考回路にはるわけだ。


我慢をして辛い思いをしている自分を良く思いたい、
そんな自分を守りたい、
だから人を攻撃する。



寂しい言い方かもしれないが、
人の人生はその人のものであって自分には関係ない。


友達や同僚などの身近な人や、
家族や恋人などのもっと近しい人の人生は
影響もある程度はあるが、
それでも関係ない場合も多い。


人生は相手に影響されることがほとんど
と思っているかもしれないが、
それは自分から望んでそうしているように感じる。


今の生き方を変えたくないから、
勇気を出して変化するのが怖いから、
それらの保身のために
わざわざ人の人生に関与しているように思えてしまう。



自分の人生に周りを介入させようと思うから
不必要な感情がわき起こる。


自分の人生を自分で生きられないから、
人はなぜか相手の人生を生きてしまう。


相手と比べてしまうのだ。


実は周りは関係ない。


周りがお金持ちだろうが幸せだろうが、
幸せに見えようが関係ない。


自分の人生を自分の足で歩けば良いだけだ。



しかし、それは厳しい道のりになる。


人のせいにできない、つまり言い訳ができなくなる。


大抵の人はその厳しい生き方を避けて、
言い訳ができる楽な人生を歩んでしまう。


周りを必要以上に気にするのはやめてしまった方がいい。


周りを意識して自分を正当化させても
得るものはない。



自分が正しいと思ってしまうと、
そこに悪い人が生まれる可能性がある。


正しさは比較対象が存在してこそ意味がある。


となると正義のヒーローは悪がいるから生まれたのか、
正義のヒーローが生まれたから悪が生まれたのか。


意外と、正義を掲げる人がいるから
悪が生まれる場合もあるのではないかと思ってしまう。


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この記事を読んで、なるほど!と
思わず膝を打ちたい気分だった。


「ルールを守っている自分を正当化するために
ルールを守らない人間を批判する」


まさに最近の不倫報道とそれに対する批判は、
この定義にピッタリ当てはまる。



もちろん、ルールを守ることは大切だ。


自分がルールを守って正しく生活しているのなら、
それを誇りに堂々と生きたらいい。


だが、こうしたいわゆる真面目な人は、
ルールを守らない型破りな他人が
いい目に遭っているのが腹立たしいのだろう。


だから、自分に関係のない不倫報道に憤り
「不倫は悪だ!」という持論を振りかざす。


声高に叫べば叫ぶほど、
ルールを守って真面目に生きている自分の人生すら
貶めていることに気が付かないまま。



ルールを守って、真面目に生きること。


ルールを破ってでも、自分の感情に素直に生きること。


他人に迷惑さえかけなければ、
どちらも1つの生き方であり、
どちらがいいとも悪いとも言えない。


相手を悪にすることで、
自分の正を守ろうとするなんて、
つまらないことだ。


他人と比べることをせず、
自分の人生に誇りと責任を持って生きたいと思う。



※元記事はコチラ♪
人間をとことん考える(人間論) [まぐまぐ!]

一週間早いバレンタインデート

今日は、トシとデートだった。


一昨日、トシとのLINEのトーク画面に
『一週間早いバレンタインデート』
というイベントが突然掲示された。


LINEでイベントカレンダーが
作成できることは知っていたけれど、
実際に見るのは初めて。


トシらしいデートの誘い方に、
思わずクスッと笑ってしまった。



ただ、今週は息子の私立高校受験の週。


今日明日明後日と3日間、
試験会場まで朝送迎しなくてはならない。


いつもなら9時半には会えるのに、
今回は11時の待ち合わせになってしまった。


私たちにしては珍しく(?)
5時間ほどの短時間逢瀬。


それでも会えないよりはずっといい。



T:「息子が受験頑張ってるときに
悪いお母さんだね〜(笑)」


K:「だって…。会いたかったんだもん!」


T:「息子に悪いことしてる、って
罪悪感ある?」


K:「全然ない(笑)
朝4時起きでお弁当も作ったし、
試験会場までちゃんと送迎したし、
母としての勤めはちゃんと果たしたよ。」


T:「いや、私がこんなことしてると
息子が落ちるんじゃないか、
なんて余計な心配するかと思って。」


K:「息子の試験は息子の力次第でしょ。
私が試験中何してるかなんて、関係ないじゃない?」


T:「さすが、かすみ!
そういう風にいい意味で
自分と他の人を分けて考えられるところ、
好きだな。」


と、またまたヘンなところで「好き」をゲット(笑)



今年のバレンタインのチョコは、
私が食べたかったパティスリー・サダハル・アオキのチョコと、
トシが好きなラムレーズンを使ったチョコ。


この2つは、三越のサロンド・ショコラで購入した。


バレンタインシーズンにチョコレート売り場で
どれにしようかとあれこれ物色するのは
女子ならではの楽しみだ。



そしてオマケとして
ベビーチョコとアポロチョコの小袋を5個ずつ。


これは、トシと電話で話しているときに


T:「オレ、本当のことを言うと
チョコで一番好きなのはベビーチョコとアポロ、
それからm&mなんだよね。


高級パティシエのチョコは、
その場は美味しいなと思うけど、
毎日食べたいとは思わない。」


という話を聞いたから。


ちょっとしたサプライズとジョークの意味を込めて
スーパーで小分け用に売っている小袋を
可愛くラッピングして渡した。



T:「うわ〜、これ、最高!
ウケるし、嬉しいよ♪」


ラッピングを開けて
ベビーチョコとアポロがこぼれ出た瞬間、
トシが歓声を上げて大笑いしてくれた。


T:「かすみのこういうセンス、
ホント最高だなぁ!」


作戦、無事成功♪



二人でアオキのチョコを半分こ。


棒状のチョコだったので、
お互い両端から食べる、
というベタな演出で(笑)


チョコがなくなると同時に、触れ合う唇。


同じ甘い味のする舌を絡め合って。


チョコより甘く、濃厚なキスに
身も心も蕩けていく。



いつもより短めの逢瀬だったけれど、
しっかりトシを充電できた。


毎回私の電池が切れる前に
こちらが何も言わなくても
必ず時間を作ってくれるトシには感謝しかない。

120%の信頼と無限大の愛情

先日、あるブロガーさんとコメントの中で
信頼についての話になった。


細かい内容は忘れたが、
私が彼のことを120%信頼している、
と書いたら、


「どうして彼をそんなに信頼できるか、
また教えてくださいね」
とお返事を下さったのだと思う。



私はトシのことを頭から丸ごと、
信頼している。


トシが私のことを愛してる、
と言ってくれたのだから、
私は愛されているのだ、
と自信を持って言うことができる。


たまにマイナス感情が涌き上がって
どれくらい好きでいてくれるんだろう、
などとグジグジすることはある。


でも、「愛されていないんじゃないか」
とは一度も思ったことはない。



なぜそんな風にトシの言葉を
120%信頼できるのだろう?


元々私は人を信じ易い質ではなるが、
それだけではないと思う。


ひとつには、トシが有言実行の人だから。


一度口にしたことは
どんな些細なことも絶対に守る場面を
何度か目にして来た。


だから、トシが言ったことは絶対なのだ、
と無条件に信じられる。



またトシはいつでもどっしりと構えていて
小さなことで揺れたりもしない。


T:「オレは一度好きになった相手のことを
簡単に嫌いになったりしないよ。


長く付き合えば、
合わない部分も出て来るかもしれない。


でも、イヤだな、と思うことがあったとしても、
それはお互い様でしょ?


それもこれもひっくるめて、その人なんだから。


もしかすみに対してイヤだと思う部分があったら
ハッキリ言う。


何も言わずに離れるなんて卑怯なことは
絶対にしない。」


この言葉を聞いて、
この人には私のすべてを
さらけ出していいんだ、と改めて思った。



さらに、私に対する態度や言葉だけでなく、
仕事や周りへの姿勢も、
トシへの信頼を深める要素になっていると思う。


トシは中小企業を経営する社長さんだが、
社員の人達と同じように現場にも出るし、
夜勤もこなす。


人をひとり雇って人件費がかかるくらいなら
その分今いる社員に一円でも多く給料をあげたいから、
と、書類仕事から図面引きまで、
すべて自分でやっている。


自分を信じて付いて来てくれた人のことを常に考え、
自分より周りの人たちの幸福を優先しているのだ。


そんな姿を見ていて、
私もトシについていけば間違いない、と確信した。



以前にも記事にしたことがあるが、
結局のところ信じる信じないは
自分の心が決めるものだと思う。


どれだけ愛の言葉をもらおうと、
会いたいと言えば必ず来てくれようと、
口先だけなのでは、その場限りなのでは、と
相手の気持ちを疑えばキリがない。


言葉や行動で100%の信頼を示すことなど
無理なのだから。



それならば、頭から丸ごと、相手を信じる方が
ずっとラクだし幸せだ。


信じるに足る人だと自分が思ったのなら、
それで十分。


人を信じるのに、本当は理由なんて、
いらないのだと思う。