かすみ草の恋

アラフィフの今、出逢ってしまった運命の人。
お互い家庭がありながらも、最後の恋人として大切に愛を育んでいます。

<<恋愛忘備録>>胸派?それともお尻派?

男性は、女性の胸が好きな人(胸派)と
お尻が好きな人(尻派)に分かれる、
と聞いたことがある。


実際、周りの男性にこの話題をふると、
必ず「僕は胸だな」「オレはお尻に魅力を感じる」
とそれぞれの立場を熱く語ってくれる人が多い。



ネットには、こんなアンケート結果も。


Q.あなたは女性の胸とおしり、どちらが好きですか?
胸 ……74.1%
おしり……25.9%


対象者数が書いていないので信憑性はあまりないが、
恐らく一般的には胸派の男性の方が多いのだと思う。



この結果は、胸に自信がない私としては非常に残念だ。


一応、サイズはD。


背中の方から余ったお肉を寄せて
グッと上げればそれなりに谷間もできる。


が、ブラを取ってしまったら元の木阿弥。


子供二人を完全母乳で育てたのだから
張りがなくなってしまったのは仕方がない。



逆にお尻にはちょっとだけ、自信がある。


20代の頃からジーンズのサイズは変わっていないし、
今でもガードルや補正下着のお世話にならなくても
ある程度の位置を保っている。


横に張り出した安産タイプではなく、
後ろにボリュームがある方なので、
サイズの割に腰回りは大きく見えない。


ちなみに、ウェストとヒップの黄金比率は
7:10らしいが、この条件をほぼクリアしている。



そして、私のことを気に入ってくれる男性は、
ほぼ全員お尻派だ。


当然、トシもそのタイプ。


T:「胸なんて、どっちが前かわかればいい」
という言葉には、感謝以外ない。



ネットで見てみると、胸派、お尻派の男性には
こんな特徴があるらしい。


++++++++++++++++++++++++++++++++++


おしりフェチな男性は、
おっぱいフェチな男性と比べると
大人の性格をしています。


逆におっぱいが好きな男性は、
どちらかというとまだ幼児性を引きずっています。


物心つく前の赤ちゃんはお乳を飲むために、
誰に教わるともなく母親のおっぱいを求めてます。


女性のおっぱいにとても興味を示す
おっぱいフェチな男性は、
まさに赤ちゃんがおっぱいを求めるかごとく、
女性のおっぱいをこよなく愛します。


彼らにとっておっぱいは女性の象徴であり、
物心つく前の赤ちゃんのようの幼児性が、
潜在意識の奥深くに残っています。



一方、おしりフェチな男性は、
幼児性が薄く大人の性格の持ち主と言えます。


彼らにとって女性のおしりは、セックスの対象です。


要するにセックスをすることで、
おしりを含むあのふくよかの腰回りに、
自分の子供を宿してもらいたいという無意識な願望が、
おしりをこよなく愛する心理として現れます。


セックスで子供を宿してもらいたという願望は、
まさに大人の男性の願望であり、
彼らは大人の性格の持ち主と言えます。


++++++++++++++++++++++++++++++++++


もちろん、これが全員に当てはまる訳ではだろうけれど、
何となくわかる気はする。


トシを始め、私が好きになった男性は
いわゆる「男らしい男」が多かった。


言い方を変えれば、「黙って付いて来い!」
のオレ様タイプ。


年齢問わず、大人っぽい考え方の持ち主でもあった。



私は自分より圧倒的に強い男性が好みなので、
自然とお尻派を引寄せていたのかもしれない。


あるいは、胸よりはお尻がアピールポイントだから
自然にお尻派の男性=オレ様タイプが
私の好みになったのかも…?



トシはさらにお尻派の中でも亜流(?)で
T:「モリッとしたお尻から、
ムッチリした太ももにかけて
ボリュームがある人が好き」
なんだそう。


お尻+太もも派、だろうか(笑)


この条件も、私はきっちり満たしている。


T:「だからかすみはオレの理想の女なんだよ♪」


トシが好みだと言ってくれるなら、
ザ太ももといった感じの太ももも許せる気がする。

しなやかに、そしてしたたかに<その2>

前回の続きで
私が「しなやかさ」と同時に
身につけたいと思っている
「したたかさ」について。



「したたか」というと
マイナスのイメージだが、
本来はいい意味で使われる言葉だった。


辞書を引いてみると、
『1.強くて手ごわいさま。
一筋縄ではいかないさま。
2.強そうなさま。いかめしいようす。
3.しっかりしているさま。確かなさま。
4.大げさなさま。はなはだしいさま。』
とある。


漢字で書くと「強か」、
つまり強い、ということだ。



ではなぜ「強さ」ではなく
「したたかさ」を求めるのか。


「強さ」というと、
何があっても揺るぐことなく、
自分の決めた道をまっしぐらに突き進む、
というイメージがある。


だがこれは、もう1つの目標である
「しなやかさ」とは相容れない。



例えば今のトシとのような
婚外恋愛の関係では、
究極の理想を言えば
お互い自由な立場になって一緒になることだ。


もし相手が離婚しなかったとしても、
他に好きな人ができた以上、
少なくとも自分は家族を捨てる、
と覚悟するのが本当の「強さ」だろう。



しかし、現実は自分の中に
家庭を捨てることができない弱さがある。


不倫で一番責められるのは、
家庭を維持しつつ外で恋愛も楽しむ、
といういわばズルをしている部分。


どんな言い訳をしたとしても、
婚外恋愛をしている誰もが
こうした弱さ、狡さを持っていることは否めない。



それならばいっそ、
その弱さ、狡さすら飲み込んでしまえばいい。


自分は弱くて、狡くて、流され易くて、
でも彼のことを誰よりも愛している、
と開き直る。


その上でなお、自分らしさを失わず
前向きに生きるために必要なのが
「したたかさ」なのだと思う。



しなやかに、そしてしたたかに、
人生を楽しんで過ごしたい。

しなやかに、そしてしたたかに<その1>

前回の記事のコメントで、ある方から
「思想がしなやか」というお褒めの言葉を頂いた。
(はなさん、ありがとうございます♪)


そんな言葉をかけて頂くには程遠いが、
「しなやか」というのは
私が目指す理想のひとつなので、
とても嬉しかった。



「しなやか」を辞書で調べてみると、
『1.柔軟で,弾力に富んでいるさま。よくしなうさま。
2.動作・態度に角張ったところがなく,なよやかなさま。
たおやかで優美なさま。』
とある。


さらに類義語としては
『柔軟、フレキシブル、典麗、奥ゆかしげ、麗しい
優美、エレガンス、優雅、雅やか』
などなど、畏れ多い単語が並んでいる。


ここから私が考える「しなやかさ」は
・無理をせず自然体
・自分らしさを保ちつつ、エゴを押し通さない
・自分の意志で流されることができる
といった感じだ。



1つめの「無理をせず自然体」は、
自分にできることを無理をしない範囲で
楽しんでするよう心がけること。


そのためには、自分にできること、できないことを
理解している必要があると思う。


もちろん、できないことをできるようにしようと
頑張ることも大切。


だが、いつもいつも肩肘を張っていると
自分も周りも疲れさせてしまう。


できることを楽しみつつすることで
自然に新しい何かが身に付くとしたら
それこそ「しなやかさ」なのかもしれない。



そして「自分らしさを保ちつつエゴを押し通さない」は、
自分と違う考えに出会ったときに
「なるほど、そういう考え方もあるかもしれない」
と受け入れられる姿勢。


もちろん芯はしっかりと持っている必要があるが
その上で「それもアリ」と思えることが
思想の「しなやかさ」だろう。


受け入れた後に、やはり自分には合わないと思えば
やらなければいいだけのこと。


目くじらを立てて「その考えは違う!」と
言い張るのは、しなやかさとは対極にある気がする。



最後の「自分の意志で流されることができる」は
ただ単に状況や周りの人間に流されるのではなく、
何か「これかも!」という動きを感じたときに、
その波に思い切って乗れること。


こうしてみたいな、こうなれたらいいな、と
自分が漠然と思い描く理想を実現できるような
小さなキッカケは、実はいたるところに転がっている。


だが、今の状況を変えることが
怖かったり億劫だったりして、
色々と言い訳をしてはそのチャンスを見送ってしまいがち。


ダメだったらまた、戻ればいい。


それくらいの軽い気持ちで流されてみることが
「しなやかさ」に繋がるのではないかと思う。



心も物腰も「しなやかな女」になること。


これが私の目標だ。


それと同時に、「したたかさ」も
私の理想の生き方のひとつ。


長くなったので
こちらに関しては次回に書かせて頂こうと思う。