かすみ草の恋

アラフィフの今、出逢ってしまった運命の人。
お互い家庭がありながらも、最後の恋人として大切に愛を育んでいます。

自分ファースト党

今朝の新聞は
月末に衆議院が解散し総選挙が行われる、
というニュースが一面トップだった。


新党を立ち上げた小池知事にちなんで、
私が実生活の中で(勝手に)立ち上げたのは、
「自分ファースト党」


この党の綱領は、ただ一つ。


「まず、自分が幸せであること」



飛行機に乗ると、
離陸前に非常時の避難に関する映像を見せられる。


このとき
「酸素マスクはまず自分が装着し、
手助けが必要な周りの人の装着を手伝うようにしましょう」
という説明がある。


子供に先に酸素マスクをつけさせようとすると、
子供が嫌がったりして手間取ったりしたときに
大人が意識を失ってしまい、最悪の事態になりかねないからだ。



幸せについても、同じことが言えると思う。


まず自分が幸せでなくては、
周りの人を幸せにすることは難しい。



例えば母親が眉間にシワを寄せたしかめっ面で


「アナタたちのために、
お母さんはどんなに疲れていてもご飯を作るのよ」


と言って手の込んだ料理を並べられても、
子供はちっとも嬉しくないだろう。


それくらいなら、納豆ご飯を食べながら
一緒にテレビを見て笑ってくれる母親の方が
よっぽど子供は救われる。



恋愛においても、「彼のため」に自分を犠牲にしても
肝心の彼はきっと嬉しくない。


「アナタのためを思って、私はこんなに耐えている」
と泣かれても、
「じゃあ、我慢するのやめれば?」
と思われるのが関の山だ。


なぜなら、「アナタのため」という大義名分の裏には、


「私はこんなにもアナタのことをを思って我慢しているんだから、
アナタも当然私のために何かしてくれるでしょうね?!」


という脅迫めいた気持ちが隠れているから。



相手のために無理な我慢を重ねるくらいなら、
しない方がいい。


それよりまずは自分の力で、自分自身を幸せにすること。


自分が安定して幸せな状態であれば、
周りを気遣う余裕も自然に生まれる。


そして幸せな者同士が寄り添えば、
さらに幸せが何倍にも膨らんでいくだろう。



「自分ファースト党」、
まだ党員は私一人ですが、
随時どなたでも入党受け付けております(笑)



※今朝アップした記事では「私ファースト党」としていましたが、
コメントを寄せてくださったほたとみしさんのネーミング
「自分ファースト党」の方がずっとステキなので、
変更させて頂きました。


ほたとみしさん、ありがとうございます♪

どこまで許せる?!デブとポチャの境界線

食欲の秋の到来と共に、
順調に増加傾向にある私の体重。


夏バテで少々減らした分など
ものの2週間足らずで元通り。


それどころか、
今朝は今月最高値をたたき出してしまった。


これ以上増やすと後が大変ということは
何度も痛い目にあって身に染みているので、
そろそろ本気でダイエットを考えなくては…。



モチベーションをあげるため、
トシにネットで見つけたこんな画像を送ってみた。


K:「ねぇねぇ、この中でトシの好みの体型は、どれ?」


T:「-10%から80%なら、どれもOK。」


な、なんて許容範囲の広い…。


でも、それではダイエットのモチベーションにならない。



K:「じゃあさ、今の私はどれくらい?」


T:「う〜ん、40%と60%の間くらいかな。」


これまた、非常に正直なお答え(笑)



俗に男性はガリガリの女性より、
ちょいポチャくらいの女性を好む、
と言われている。


この画像が載っていた記事にも
「80%はアリでも-30%はありえないのに
何故世の中の女たちは病的に痩せたがるのか」
という男性の声が。



私は元々身長が165cmと高めな上に、
骨格がしっかりしている体型。


どれだけダイエットしても、
「折れそうに細い体」には絶対になれない。


若い頃はそれこそ華奢な身体に憧れたけれど、
ある程度年齢を重ねた今は、
多少ぽっちゃり目の方が女性らしく見えるように思う。


(自分に甘い、ということは重々承知しております…。)



T:「若い頃は、一緒に連れて歩いて自慢できる、
っていうのが一番の基準だったから、
モデルみたいな体型の女が理想だった。


でも、実際に付き合うと、
ガリガリに痩せている女は抱き心地は悪いし、
一緒にご飯食べてもちょっと食べて残したり
これは食べられないだの文句ばかり言うから、
楽しくないんだよな。」


とは、トシの談。



T:「それに、かすみはポッチャリじゃないじゃん。


メリハリがあって、グラマーだよ。


男からしたら、一番抱いてみたい、
と思える体型だ。


他の男の目が気になって心配だけどね(笑)」


K:「またそうやって甘やかす〜!」



幸か不幸かトシの出張が延びて、
次の逢瀬はまた2週間ほど先になりそうだ。


この間に密かにダイエットし、
トシの好きなボディラインを強調したニットワンピが
似合う体型になってみせよう!

私の常識、アナタの非常識

子供たちがまだ幼稚園と小学校低学年だった頃、
夫の転勤で一家で3年間アメリカに駐在した。


家が決まって引っ越すやいなや
子供たちは現地の幼稚園と小学校に通うことに。


事前に彼らに叩き込んだフレーズは2つだけ。


Call my mom.

Where is the bathroom?



訳がわからないままアメリカに連れてこられ、
いきなり現地の学校に放り込まれた子供たち。


子供は言葉を覚えるのが早いから、
とよく言われているが、
それでも子供たちがある程度不自由なく
学校生活を送れるようになるには
半年から一年近くかかった。


我が子ながら、二人ともよく頑張ったと思う。



子供たちも言葉の通じない環境で
文字通り生き延びるのに必死だったと思うが、
私も様々な面で驚きの連続だった。


何しろ、こちらが常識だと思っていることが
アメリカでは通用しないことが多々あるのだ。



中でも私が一番驚いたのは、
テストの点数の付け方。


あるとき息子が持ち帰ったテスト用紙には、
「0」と片隅に数字が書かれ、
その下に大きく"Excellent!"と。


0点なのに、Excellentってどういうこと?!


しかもその文字が赤ではなく緑色で書かれていたため、
余計に意味不明だ。



後日わかったことは、
まずアメリカでは「100点満点」という概念がないということ。


日本は総合計が100点になるよう個々の問題の点数を調整し、
100点満点に対して何点取ったかで評価するが、
アメリカでは「何問間違えたか」が基準となる。


これも、アメリカ全土で必ずしも同じという訳ではなく、
パーセント表記で点数がつく場合もあるようだ。



また、日本人は採点や修正には赤を使う、
というのが常識だが、
これもアメリカでは決まった色はない。


さすがに黒い鉛筆で書かれた答案に
黒いペンで採点することはないようだが、
手近にある他の色のペンであれば、
青だろうと緑だろうと紫だろうと、なんだってOK。


一度など、息子のテストで半分まで青で採点してあり、
途中でインクが切れたのか、後半はオレンジ、
というカラフルな答案を返してもらったことがある。



この経験から学んだことは、
自分が常識だと信じていることが、
必ずしも他人の常識と同じではない、ということ。


加点ではなく減点方式の採点法があれば、
赤ではなく青、はたまたオレンジで修正を施すことだってある。


いくら自分が、
「満点は100点でしょ!」
「修正は赤でするのが常識でしょ!」
と主張したところで、相手によっては通用しないのだ。



恋愛に関しても同じ。


「付き合っているなら毎日連絡くれるのが当たり前」
「好きなら言葉にするのが常識」
「会う時間を作らないのは愛情がない証拠」


これらは女性側の「常識」かもしれないが、
男性側にとったら「非常識」なケースもあるに違いない。



そして常識というものは、長年培われたものだからこそ、
覆すのが非常に難しい。


ただ、自分の常識が必ずしも相手の常識とは限らない、
ということを意識していれば、
「こうして当然」
と思うのは傲慢だ、ということはわかるはずだ。


また相手が自分の常識と違うことをしたとしても
そういうこともあるかもしれない、
と納得できるだろう。



私の常識は、アナタの非常識。


でも、その違いを知るのも面白く、
また自分の枠を広げてくれるキッカケになるかもしれない。