かすみ草の恋

アラフィフの今、出逢ってしまった運命の人。
お互い家庭がありながらも、最後の恋人として大切に愛を育んでいます。

賢い女

明治生まれの私の祖父は、
一本筋の通った古き良き日本の男だった。


そんな祖父から学んだことはたくさんあるが、
中でも強く印象に残っている祖父の言葉のひとつが、


「小賢しい女になってはいかん。
賢い女になりなさい。」


というものだ。



若い頃は、この言葉の意味が
今ひとつよくわからなかった。


私は男女雇用機会均等法が定められた数年後に
大学に入学した世代だ。


「男は男らしく」「女は女らしく」
などという言葉はもはやほぼ死語。


総合職で男性と肩を並べてバリバリと働き、
自分の持つ能力を最大限にアピールすることが
自己実現の方法だと信じていた。



恐らく10代20代の頃の私は、祖父の言う
「小賢しい女」だったと思う。


「小賢しい」を辞書で引くと、
①利口ぶっていて,生意気だ。
②わるがしこくて,ぬけめがない。
とある。


「小賢しい女」と言うときの「小賢しい」は、
①の意味。


「利口ぶって」ということは、
つまり本来の能力や知識以上に
自分を大きく見せようとするような態度だろう。


さらに相手を下に見るような態度を取れば、
「生意気だ」というレッテルも貼られても仕方ない。



真に賢い女性と言うのは、
能力や知識があっても決してそれをひけらかさず
常に一歩引いた姿勢が取れる人のことだと思う。


賢女と聞いて思い浮かべるのは、
古くは豊臣秀吉の正室だった北政所、
あるいは十三代将軍・徳川家定の妻の篤姫。


現代で言えばフランス大統領の妻である
ブリジット・マクロンあたりだろうか。


あくまで印象であって実際はどうかわからないが、
パートナーの男性を立て、
影で上手くコントロールできる知恵と力を持った人、
というイメージだ。



トシはよく私のことを
「かすみは賢い人だね」と褒めてくれる。


頭の回転が速い、と言う意味の「賢い」
と褒めてくれているのかと思ったら、


T:「もちろん、それもあるけど、
頭の善し悪しだけじゃない。


かすみは出しゃばったり
私が私がとアピールすることをしないでしょ。


そして相手の言うことを受け止めた上で
上手く自分の意見と沿わせていく。


そういう賢さがあるな、と思うんだ。」


K:「亡くなったおじいちゃんには
小賢しい女にはなるな、って言われてたんだけど。」


T:「全く小賢しくはないよ。


男をきちんと立ててくれた上で
いつの間にか掌で転がしている。


そういう賢さが、男を虜にするんだよ。」



トシが私の理想とする「賢い男」であるように
私もトシが求める「賢い女」であり続けたいと思う。

賢い男

私は男性に対して、これ!という好みはない。


外見に関してもさほどこだわりはないので、
過去付き合った人をもし並べたとしたら、
全くバラバラだと驚かれるかもしれない。


そんな私がひとつだけ譲れない条件が
「賢さ」だ。



そもそも私は自分より明らかに格上だと思える人に
強く惹き付けられる。


初恋の近所の2歳年上のお兄ちゃんは、
東大京大同時受験が可能だった時代に
見事両方に合格した秀才だった。


以前にも記事にしたが、
私自身は押しも押されもせぬ文系なので、
理系が強い人にも滅法弱い。


また、芸術的才能も皆無のため、
クリエイティブ系の才能がある人にも
クラっとする傾向がある。


ただし、自分が運動が苦手であるにも関わらず、
いわゆるスポーツ一筋の人には魅力を感じないのは
我ながら不思議だ。



つまり私は、自分の持っていない
「賢さ」を持つ人が好みだということだろう。


ここで言う「賢さ」は、学歴のことではない。


頭の回転の速さ、好奇心の有無、
知識の豊富さ、経験に裏打ちされた特技など。


それらを総合した「生きる力」を持つ
強い男こそが、私の理想である。



また、本当に賢い男は謙虚でもあり、
決して自らの知識を見せびらかすことをしない。


むしろ、自分を落して
道化役になれる度量を持っている。


下らない冗談を言ってバカ笑いもできれば、
世界情勢や政治経済についても語り合えるのが
真に賢い人だと思う。



そして賢い男は、度量が大きい。


自分の考えを相手に押し付けたり、
上から目線で物を言ったりしない。


たとえ自分より下の立場の人だとしても
受け入れるべきところは素直に認める。


物事をこうだ!と決めつけることをしない柔軟性も
賢さのひとつだろう。



トシはまさに、私の理想とする「賢い男」だ。


本人にそう言うと
T:「いや、オレなんて全然賢くないから!」
と照れて全力で否定するけれど。


誰よりも優しくて度量が大きく、そして強い。


そんなトシだからこそ、
私は安心して身も心も委ねられるのだと思う。

自由を勝ち取る

婚外恋愛している既婚女性の悩みのひとつに、
デートの際、家族にどう言って出かけようか、
ということがある。


何かしら仕事をしていれば、
残業や出張を言い訳にすることもできるだろう。


だが、急に残業や出張が増えるのもおかしいから、
そうしょっちゅうは使えない。


ましてや専業主婦だったり子供が小さかったりしたら
夜出歩くのはかなり難しい、という人が多いはずだ。



私は幸いにして
(というのもおかしいかもしれないが)、
かなり自由が効く方だと思う。


元々思いつきで行動することが多いので、
独身時代はそれこそ好き勝手し放題だった。


思い立って急に遠方の友人に会いに行ったり、
突如新しい習い事を始めてみたり、
格安チケットが手に入ったからと
ひとりで海外に出かけたり。


親や親戚からは、
「結婚したらそんな気ままにはできないからね!」
と何度も口を酸っぱくしてお説教された。



が、そもそも私はこの
「結婚したら自由でいられない」
という考え方に大きな疑問を抱いていた。


結婚と言うのは、成人した男女がお互いの合意の上で
生活を共にすること。


もちろん、
何もかもが独身時代と同じように自由、
という訳にはいかないのはわかる。


だが、夫も妻も同じくらい
「自由」であるべきなのではないか。


未だに日本では、
子育てをし家事をするのは妻の役目、
といった風潮が強い。


つまり、自由が効かないのは圧倒的に妻、
ということだ。



知り合いの中にも、ランチに出て来るのでさえ、
夫の許可がいる、という友人が何人かいる。


ましてや友達と旅行だの、夜飲みに行くだのなんて
もってのほか。


私たちの年代だともう子供もある程度大きいし、
母親が1日2日家にいなくても何とかなるはずだ。


それでも
「旦那がいい顔しないから…。」
と最初から諦めてしまう。


思い切ってやってみたら、
案外道は開けるはずなのに、とても勿体ないと思う。



私の場合、きちんと事前に筋を通せば
私がしたいと言ったことを夫に止められたことは
殆どない。


元々交友関係が広く、好奇心の赴くままに
色々なことに首を突っ込む性分だ、
ということは夫も承知している。


「○○ちゃん達と飲み会」
「△△と温泉旅行して来る」
「××始めることにした」


そこに数回彼とのデートが入ったところで、
疑われる可能性はかなり低い。


自分の外向的な性格に感謝したいくらいだ(笑)



婚外恋愛をしているかどうかは別にしても、
誰かに生活の舵を全て握られるのは
大人としてとても不自然で不自由なことのように思う。


縁あって一緒に暮らす家族を大切にするのは当然だが、
束縛されて自分の人生がなくなってしまうのでは
つまらない。


自由は与えられるものではなく、自ら勝ち取るもの。


『私』の人生を生きるためにも、
これからも心身ともに自由でありたい。