かすみ草の恋

アラフィフの今、出逢ってしまった運命の人。
お互い家庭がありながらも、最後の恋人として大切に愛を育んでいます。

全ての基準は「幸せ」にあり

私が物事をするかしないか、
あるいは続けるか続けないか、
を決める基準は1つだけ。


それが私にとって
「幸せ」かどうか。



例えば、人間関係。


何十年来の友人であったとしても、
宗教やネズミ講の勧誘をしてきた、とか、
借金の申し込みをされた、
などがあれば、すぐさま付き合いをやめる。


その関係は私にとって
「幸せ」ではないから。



仕事に関しては、「幸せ100%」
というのはなかなか難しいだろう。


どれだけ気が乗らないときでも
勤務時間は守らなくてはならないし、
仕事内容も自分の思う通りにいくばかりではない。


だが、仕事を通じて
「やりがい」だとか「収入」、
あるいは「自己肯定感」が得られる。


こうした「幸せ」の分量が
それ以外のマイナス要素を上回れば、
それは私にとって価値があることだ。



恋愛も、また同じ。


トシとの関係は、いわゆる婚外恋愛。


お互いが独身のように自由が効かない分、
我慢しなくてはならないことも多い。


でも、愛する人に愛される「幸せ」は
些細な不満など吹き飛ばすほど大きい。


だからこの関係は
私にとって大きな意味があるのだ。



そして得てして人間は、
「満足」より「不足」
「幸せ」より「不幸せ」
「ポジティブ」より「ネガティブ」
にフォーカスしがちである。


例えば自分の身近な人、
配偶者だとか子供、職場の人たちに対しても、
「いい面」より「悪い面」の方が
簡単に見つかるし数も多くなりがちだ。



大好きな彼に対しても、
同じことをしてしまう危険性は高い。


「○○してくれない」=「足りない部分」
「彼は家庭が第一」=「不幸せな環境」
「本当に好きでいてくれるか不安」
=「ネガティブな感情」


ただ単にいつものクセで、
こうしたマイナス面に
フォーカスしてしまっているのなら
とても勿体ないことだと思う。


なぜなら、ちゃんとそこに存在する
「幸せ」に気が付けなくなってしまうから。



トシと私は、ことある毎に「幸せ」を口にする。


T:「かすみとこうやってマッタリしているときが
一番幸せだなぁ。」


K:「トシの声を聞くだけで、すごく幸せ♪」


T:(ご飯を食べた後ごろんと横になって)
「あ〜、幸せだ〜!」


K:「出会えて良かった!本当に幸せだよ。」



「あなたの存在が私の幸せ」


お互いが心からそう思えていれば、
その関係は永遠に続くに違いない。