全ての基準は「幸せ」にあり
私が物事をするかしないか、
あるいは続けるか続けないか、
を決める基準は1つだけ。
それが私にとって
「幸せ」かどうか。
例えば、人間関係。
何十年来の友人であったとしても、
宗教やネズミ講の勧誘をしてきた、とか、
借金の申し込みをされた、
などがあれば、すぐさま付き合いをやめる。
その関係は私にとって
「幸せ」ではないから。
仕事に関しては、「幸せ100%」
というのはなかなか難しいだろう。
どれだけ気が乗らないときでも
勤務時間は守らなくてはならないし、
仕事内容も自分の思う通りにいくばかりではない。
だが、仕事を通じて
「やりがい」だとか「収入」、
あるいは「自己肯定感」が得られる。
こうした「幸せ」の分量が
それ以外のマイナス要素を上回れば、
それは私にとって価値があることだ。
恋愛も、また同じ。
トシとの関係は、いわゆる婚外恋愛。
お互いが独身のように自由が効かない分、
我慢しなくてはならないことも多い。
でも、愛する人に愛される「幸せ」は
些細な不満など吹き飛ばすほど大きい。
だからこの関係は
私にとって大きな意味があるのだ。
そして得てして人間は、
「満足」より「不足」
「幸せ」より「不幸せ」
「ポジティブ」より「ネガティブ」
にフォーカスしがちである。
例えば自分の身近な人、
配偶者だとか子供、職場の人たちに対しても、
「いい面」より「悪い面」の方が
簡単に見つかるし数も多くなりがちだ。
大好きな彼に対しても、
同じことをしてしまう危険性は高い。
「○○してくれない」=「足りない部分」
「彼は家庭が第一」=「不幸せな環境」
「本当に好きでいてくれるか不安」
=「ネガティブな感情」
ただ単にいつものクセで、
こうしたマイナス面に
フォーカスしてしまっているのなら
とても勿体ないことだと思う。
なぜなら、ちゃんとそこに存在する
「幸せ」に気が付けなくなってしまうから。
トシと私は、ことある毎に「幸せ」を口にする。
T:「かすみとこうやってマッタリしているときが
一番幸せだなぁ。」
K:「トシの声を聞くだけで、すごく幸せ♪」
T:(ご飯を食べた後ごろんと横になって)
「あ〜、幸せだ〜!」
K:「出会えて良かった!本当に幸せだよ。」
「あなたの存在が私の幸せ」
お互いが心からそう思えていれば、
その関係は永遠に続くに違いない。
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