信じるものは救われる?!
最近読んだネットの情報によると、
不倫から離婚にまで発展するケースは
全体の2割にも満たないらしい。
つまり、
「家庭はとっくに壊れている」
「今は無理だけれどいつか一緒になろう」
こうした言葉は、古今東西、
不倫をする男性の決まり文句であり、
一般的にはほぼ信用できない、
ということになる。
では、なぜ私は昨日の記事で書いたように
トシのことを何の疑いもなく
信じることができているのだろうか?
一つには、私が元々信じやすい性格だから、
ということがある。
トシに限らず、人に何かを言われると
「なるほど、そうかもしれない」
と、まず信じてかかる。
T:「こんなに素直な人は、見たことない。
でもよくこれで、今まで無事だったね〜。」
と、常々トシにも言われているくらい。
ただ、こんなに信じやすい私でも、
過去の恋愛においては
疑心暗鬼に苛まれたことはある。
彼と連絡が取れないと、
他の女性と会っているのではないか、
と邪推する。
会えない日が続くと、
彼はもう私のことは好きではないのかも、
と疑う。
そしてその疑いの気持ちを相手にぶつけ、
お互いがヘトヘトに疲れて
別れを選択したこともあった。
そうした過去の失敗から学んだことは、
疑いは自分の心も相手の心も傷つけ、
いずれ二人の関係をも蝕んでいく、
ということ。
例えば逆の立場になったら、と想像してみる。
私がどれだけ言葉を尽くして
愛していることを伝えても、
相手に疑ってかかられたら…。
最初の内は自分の愛が足りなかったんだ、
とさらに愛情を示す努力をするかもしれない。
それでもまだ信じてもらえなかったら、
いつしか疲れ果てて
相手への気持ちも薄れてしまうだろう。
また、恋愛においては
相手の言葉の真偽に関わらず、
信じる方が断然、幸福度が高い。
これは、恋愛以外の命題で考えてみる方が
分かりやすいかもしれない。
例えば、天国の存在について、
「信じる派」「信じない派」
それぞれの立場で考察してみる。
・天国が存在した場合
「信じる派」は、
生前は天国はあると信じて安らかに生活し、
死んだ後もやはり天国はあった、と喜べる。
「信じない派」は、
生前は死んだらそれきりと死の恐怖に怯え、
死んで初めて天国はあった、とホッとする。
・天国が存在しない場合
「信じる派」は、
生前は天国はあると信じて安らかに生活し、
死んだ後は、意識がないのでそれきり。
「信じない派」は、
生前は死んだらそれきりと死の恐怖に怯え、
死んだ後は、証明しようにも意識がない。
つまり、天国が存在してもしなくても、
「信じる派」の方が幸福度が高いのだ。
この天国の存在を、
「相手の自分への愛」に置き換えてみよう。
彼の愛が本当だろうと嘘だろうと、
「愛は存在する」と無条件に信じる方が
ずっと幸せだということが分かる。
「私が彼のことを一番愛しているように、
彼は私のことを一番愛している」
そう頭から信じられたら、
恐れるものは何もないのだから。
これこそ、
「信じるものは救われる」
なのかもしれない。
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