かすみ草の恋

アラフィフの今、出逢ってしまった運命の人。
お互い家庭がありながらも、最後の恋人として大切に愛を育んでいます。

ポジティブのタネ

何度もここに書いたように
私は自他ともに認める超楽天主義者。


自慢できるようなものはあまりないが、
物事をポジティブに捉える能力だけは
人一倍優れていると自負している。


なにしろ私の座右の銘は
「ま、なんとかなるでしょう」だから(笑)



この超楽天主義、平たく言えばお気楽な性格は
一体どこから来たのだろうか。


もし性格も遺伝するのであれば、
これは確実に父から引き継いだものだ。



私の父はもう亡くなっているが、
ダンディで知識豊富でユーモアのセンスがあり、
なにしろ明るい人だった。


周囲には常に人が集まり、
黙っていてもリーダーに祭り上げられるタイプ。


娘から見てもカッコ良くて、自慢の父だった。



その父が不治の病に倒れたのは、
私が高校1年生のとき。


数年に一度、
風邪を引くかどうかというくらいの丈夫な父が
珍しく熱を出して寝込んだ。


最初は風邪をこじらせた程度に
家族全員が思っていたのだが、
高熱が1週間経っても下がらなかったため、
精密検査を受けることに。


診断の結果は、白血病。


血液のガンだ。



今でこそ、某有名俳優など
白血病から復帰した人の話は聞くが、
30年以上前はまだ不治の病だった。


唯一の治療法は、骨髄移植。


幸いにも父の妹の骨髄型が合い、
移植を受けることに。


ただし成功率は20%にも満たないため
「まず成功はしないと思っていてください」
と母は主治医に言われたそうだ。



当時の骨髄移植は、まず全身の細胞を放射線で殺し、
そこにドナーの骨髄液を入れる、
という荒っぽいものだった。


(今どのような方法がとられているかは不明)


父は奇跡的に一命を取り留めたものの、
このとき浴びた放射線の影響で、
その後68歳で亡くなるまで約25年間、
ほぼベッドの上での生活を余儀なくされた。


医師によれば放射線の影響で
「普通の人の何倍もの速度で老化が進む」
そうだが、治療を受けた時点で43歳だった父は
一気に20歳も30歳も年を取ったように見えた。



家の中では歩行器を使って移動できたが、
何かに躓いて転ぶと自力で起き上がれないため、
必ず誰かが家にいる必要がある。


排泄はなんとか自分でできたが、
着替えも食事も介助なしには不可能。


まさに介護が必要な高齢者のような生活だ。



身体はそのように衰えてしまったが、
幸いなことに、父の脳は全く影響を受けていなかった。


大の読書好きだった父は、
「今まで忙しかったから読めなかった本も、
病気のおかげでどれだけでも読める。」
と、家に図書館ができるのでは、
と思うくらい大量の本を読破。


頻繁に尋ねてきてくれる昔からの友人を
相変わらずユーモアを交えた話で大笑いさせ、
「どっちが病人かわからんね!」
と言われるくらいだった。



私は父の口から、病気になってしまったことに対する
愚痴も泣き言も、一切聞いたことがない。


それどころか、父は常に
今の状況に幸せを見つける人だった。


「家にいるおかげで、
かすみともこうやってゆっくり話ができる。
ありがたいなぁ。」


「ここ(ベッド)に座っているだけで、
美味しいご飯が目の前に出て来るなんて、
どんな高級レストランでも
こんなサービスはないぞ。」


「美女(母と私のこと)が
二人揃って世話してくれる。
いやぁ、極楽、極楽!」


ときに楽天的を通り越して脳天気とさえ思える
それらの発言に、母も私も呆れていたくらいだ。



しかし、考えてみたら父が発病したのは
今の私より5歳若い年。


男性ならまさに働き盛りで、
公私ともに脂が乗り切っている時期だ。


その絶頂期でいきなり
ベッドに縛り付けられるような生活になった父が
悔しくなかったはずはない。



もし父が
「こんな身体になってしまって…」
と恨みつらみを言って落ち込んでいたとしたら。


一緒に暮らす母も私も弟も、
どれだけ暗い日々を過ごすことになっただろう。


しかし父は、持ち前の明るさを
決して失くさなかった。


一緒に暮らしていた間は
「もう、お父さんったら、
お気楽なことばかり言って!」
と母と二人で文句を言ったこともあった。


でも、そのポジティブさに
周りがどれだけ救われていたか、
今になって痛いほどわかる。



そして私も弟もそれぞれ家族を持ち、
四人の孫の顔を見届けた後。


たまたま実家に戻っていた私と
一緒に晩酌をし、
「こんな美人にお酌してもらえるなんて、
なんて光栄なことだ!」
といつものように笑わせてくれた翌朝。


まるでジョークの総仕上げをするように
10年前の4月1日に父はこの世を去った。


葬儀の日は、病気になった年に
父が所望して庭に植えた桜の木が
見事に満開だったことを
昨日のことのように覚えている。



どんな状況でも、
考え方ひとつでポジティブに変換できる。


父は自らの生き様で、
私にそれを教えてくれた。


そして私は、
その父に顔も性格もそっくりだ。


だから、ポジティブのタネも
しっかりと受け継いでいるのだ。



何か不安になったり悩んだときには、
父ならどう言うか、と考えてみる。


「かすみ、ほら笑って笑って!
キミの笑顔はみんなを幸せにするんだから。」